5時頃用意されたふとんに横になった途端、意識が飛んだ。
目が覚めたのが9時半頃。上司Aもちょうど2階から降りてきた。
「おはよー。世間はすごいことになってるよ。」
という話しから昨日の地震はただ事ではなかったことを改めて思い知らされる。
「昨日からラジオもテレビもない状態だったから知らないと思うけど。」そういってテレビをつけた。
目に入ってきたのは信じられない映像だった。陸前高田、南三陸といった津波の被害にあった地域。流れ続ける映像。
言葉を失った。
行ったことのある地域が消えている。
続いて松島の情報まで入ってきた。
以前お邪魔したうっちー家が心配になり、メール。続いて仙台在住で東北地方全般を営業エリアにしてる先輩にメール。
とにかく今までに自分が経験したことがない状況だった。
神戸の地震も、前回の東北の地震も、新潟の地震も多少身近にあったり、被害にあった現地を見てたりするけど、他人事だった。
けど、今回は自分を始め、近しい人が何人も被害地域にいる。なんだか落ち着かない。
映し出される映像を黙ってみてると、うっちーから家族が無事との連絡が入る。
っが先輩からは連絡なし。電話もつながらない。
とりあえず車で海浜幕張にある支店まで書類を届けなければならなかったので、上司Aと二人でドライブ。
海浜幕張は液状化の跡がはっきりと残ってた。所々に泥がたまり、植え込みは崩れ、歩道にヒビが入ってる。
埋立地の危険性を目の当たりにし、海浜幕張を後にする。上司と別れ、帰宅。
帰宅したのは夕方4時頃。
まだ先輩からは連絡ないけど、疲れから爆睡する。
起きてみると、父方のばあちゃんと連絡がとれないとか。原発20キロ圏内にいるが、まだこのときはそれほど騒がれていなかった。
翌日も色々状況にかわりはなし。
いや、翌日産まれた。姪が。無事に。震災の後に。
つい最近一緒に坦々麺を食べた先輩の安否はまったくわからず、ばぁちゃんの安否もわからず、月曜が始まる。
電車が止まり、出勤できない人達が多数いた。俺は車で行ったのでわずか30分で到着。5時30分に着いてしまった。早すぎた。
そんな朝早くからの出勤だったが、仕事はある。っが震災のことを考え、営業推進はやるなと本部から御達示があった。
そんなこんなで始まった1週間。会社の同期から災害伝言板の存在を教えてもらう。
それからは1日10回以上問い合わせてみた。
悪運の強い人だと勝手に思ってたからそんなに心配はしてなかったし、携帯の充電がないのかもって程度にしか考えてなかった。
実際どうだったかのか今でもわからない。
何十回目かの問い合わせで初めて反応があった。
携帯画面に表示された無表情な文字列。
「無事です。」
あまりの嬉しさに携帯を見てニヤニヤしてしまったのは仕方ない。
どこで被災したのか、家は無事なのか、怪我してないか、未だにわかってないけど、まぁそのうち「ヒマ?坦々麺行かねぇ??」って連絡が来るでしょう。
目が覚めたのが9時半頃。上司Aもちょうど2階から降りてきた。
「おはよー。世間はすごいことになってるよ。」
という話しから昨日の地震はただ事ではなかったことを改めて思い知らされる。
「昨日からラジオもテレビもない状態だったから知らないと思うけど。」そういってテレビをつけた。
目に入ってきたのは信じられない映像だった。陸前高田、南三陸といった津波の被害にあった地域。流れ続ける映像。
言葉を失った。
行ったことのある地域が消えている。
続いて松島の情報まで入ってきた。
以前お邪魔したうっちー家が心配になり、メール。続いて仙台在住で東北地方全般を営業エリアにしてる先輩にメール。
とにかく今までに自分が経験したことがない状況だった。
神戸の地震も、前回の東北の地震も、新潟の地震も多少身近にあったり、被害にあった現地を見てたりするけど、他人事だった。
けど、今回は自分を始め、近しい人が何人も被害地域にいる。なんだか落ち着かない。
映し出される映像を黙ってみてると、うっちーから家族が無事との連絡が入る。
っが先輩からは連絡なし。電話もつながらない。
とりあえず車で海浜幕張にある支店まで書類を届けなければならなかったので、上司Aと二人でドライブ。
海浜幕張は液状化の跡がはっきりと残ってた。所々に泥がたまり、植え込みは崩れ、歩道にヒビが入ってる。
埋立地の危険性を目の当たりにし、海浜幕張を後にする。上司と別れ、帰宅。
帰宅したのは夕方4時頃。
まだ先輩からは連絡ないけど、疲れから爆睡する。
起きてみると、父方のばあちゃんと連絡がとれないとか。原発20キロ圏内にいるが、まだこのときはそれほど騒がれていなかった。
翌日も色々状況にかわりはなし。
いや、翌日産まれた。姪が。無事に。震災の後に。
つい最近一緒に坦々麺を食べた先輩の安否はまったくわからず、ばぁちゃんの安否もわからず、月曜が始まる。
電車が止まり、出勤できない人達が多数いた。俺は車で行ったのでわずか30分で到着。5時30分に着いてしまった。早すぎた。
そんな朝早くからの出勤だったが、仕事はある。っが震災のことを考え、営業推進はやるなと本部から御達示があった。
そんなこんなで始まった1週間。会社の同期から災害伝言板の存在を教えてもらう。
それからは1日10回以上問い合わせてみた。
悪運の強い人だと勝手に思ってたからそんなに心配はしてなかったし、携帯の充電がないのかもって程度にしか考えてなかった。
実際どうだったかのか今でもわからない。
何十回目かの問い合わせで初めて反応があった。
携帯画面に表示された無表情な文字列。
「無事です。」
あまりの嬉しさに携帯を見てニヤニヤしてしまったのは仕方ない。
どこで被災したのか、家は無事なのか、怪我してないか、未だにわかってないけど、まぁそのうち「ヒマ?坦々麺行かねぇ??」って連絡が来るでしょう。
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